人物風土記のコーナーで市の取材を受けました。
この新聞のコーナーには昔から興味があり、「いつか声かからないかなー」と思っていました。
そんな時、たまたま今回取材のお声がけいただき「これはチャンスだ」と思い、即日の撮影、即日取材、3日後には記事になるという鬼スケジュールに、着飾らず、普段着のままでしたが撮影&取材を快諾しました。
この取材では、過去と現在の話ってことで昔話も少々することになっていました。
結果としては昔話の方が大きくフィーチャーされることになってしまい、少し内容に偏りや間違いもありますが、(この手の取材だとやはり広告とは違い、お金はかかりませんがこちらとしても任意での掲載を承諾する条件になりますので、記事をチェックできないのは正確な情報ではないことがあるのでちょっと辛いところはあるなー)
この場を借りて正確には、今この会社があるのは、間違いなく私の奥さんである(旧姓:松山)祥子が必死に私の事業を寝る間も惜しんで共に支えてくれたからであって、
その存在が実はこの一文では計り知れないくらい自分の中では、大きいということです。
過去の人達が今の未来に手を差し伸べることなどは決してないですが、
あの頃苦しい中でもその後の未来に賭けた時、
当時〜現在までこの事業を支えてくれた仲間がいました。(もちろんこのスクールに残ってくれた生徒も)だから、今の私があり、会社へと成長し、この会社は生き続けています。
人の時間は平等に不平等。
ではその不平等に与えられた残りの時間を自分なりにどう過ごすか?
そう考えると、過去に生きても仕方ないってのが自分の兼ねてからの結論です。
人の過去が未来を作ることは確かにそうなのかもしれませんが、こうしている間にも時間は過ぎ去っていくので、私はこれから先も間違いなく目線は、現在〜未来に向いて生きています。
前に進んでいる限り、こうやって昔から興味のあったコーナーに声をかけていただけるチャンスが巡ってきたり、新聞が取り上げてくれる機会も出てきたり、2歳から通っていた生徒ちゃんが13年後、コンクールで入賞してくれたり、まぁそんないいことがこれからもたくさん見れるように、未来のために進んでいけたらなーという心境です。
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